しまったこれも不二家だった
嗚呼・・・




ほんと〜〜〜〜〜にたまにだけど飲みたくなるのが

不二家ピーチネクター

でも場合によってはこれも撤退するかもしれないのよね・・・。

会社が大きくなるほど管理に目が届きにくくなる。
誰か一人が「メンドクサイ」と言い出すと周りも感化されてしまう。
物量が多いから先出しが徹底されなくなる。

等々。

実際、数年間こういう業界に勤めていたので想像はつかなくもない。
衛生検査もきちんとするところとしないところがある。

一般家庭であれば、少しくらい消費期限が過ぎてもそんなに気にしないのだろうけど、「商品」となるとそうはいかない。
針の先ほどの遺物が混入しただけでも管理責任問題になる。

材料・資材・器具・作業服・毛髪・爪・化粧・アクセサリー・製造所

など、生産に関わる全てを徹底して衛生管理しなければならない。

やってみると非常に大変。
でもやらなければいけない。
それも仕事。
一つ欠けてもいけない。

せっかく美味しいお菓子を作っているのに。

「ぺこちゃんのほっぺ」でも食中毒らしき症状が起きていたなんて!

嗚呼、嘆かわしい。
小さい頃から運動が苦手で、通知表はずっと「2」。
高校の時、思い切って先生に言ったこと。

「頑張っても出来ない生徒は評価が低いままですか?努力はするからそれも見てください」

そう言ったら、その先生は評価を「4」にしてくれた。

能力は人それぞれ。
社会に出たら能力が問われるけど、学生の時からそれをされてしまうと、出来る出来ないの前にやる気が失せてしまう。

あたしはあたしの言葉を受け止めてくれた先生に感謝した。
だから出来ないなりに頑張った。
結局最後まで走れば遅い、投げれば飛ばない、で終わったけど手抜きはしなかった。

成長過程では、「努力」の評価も必要なんじゃないのかな。
やる気が持てれば、もしかしたら出来るようになるかもしれない。
それをはなから「コイツは出来ないから」と決め付けてしまうと可能性すら無くしてしまう。

それって、「自信の無い人間」を作ってしまうんじゃ?

「頑張っても出来ないから自分はダメなんだ」と取る人もいるかもしれないけど、「頑張った中でこれは結果につながった。だから自分はこの道で行こう」と思える人も増えるんじゃないかな?

学校って、そういう場じゃないのかな?


「成績別に予算割当て」のニュースを見てふと思い出した。

押し付けの「努力」はいらない。
だけど自分から「頑張ってみよう」と思わせる環境を作ることは大事。
あたしはもう学生じゃないし、子供もいないからニュースや新聞で見るしか情報はない。
だけど、今の学校教育って、どこかずれているような気がする・・・。
びっくり。

そして、とてもショック。

デビューしたときから所謂アイドル時代は綺麗で歌の上手いお姉さんだった。

脱アイドルの第一歩となったミュージカル「ミスサイゴン」は東京まで観に行った。

特別ファンというほどではなかったからわざわざCDを買ったりはしなかったけど、彼女の歌声はとても好きだった。



22歳のとき、中学のときのクラスメートの男の子が同じ白血病で亡くなった。

昔から色がとても白くてよくからかわれていた。

でも、中学生なのにどこか大人びていたその男の子は転入生であったのにたちまち友達を増やしバンドを作り、高校〜大学でも頑張っていた。

明るくて男らしく、女子にも好かれていた。

大学は東京に行ったため成人式でしか会うことはなかったが、式の日数年ぶりで会った彼は相変わらずのままだった。

そのたった二年後の悲報だった。

友人から電話が来た。

最初から声が震えて、一言、

「O君が亡くなった」

と言った途端泣き出した・・・。

彼女は当時学級委員をしていたので、女子への連絡をあちこちにしていたのだろう。

私には何番目に連絡したのかは分からないが、伝えることの責務を終えたとき、頑張って堪えていた悲しみの糸が切れてしまったのだろう。

私は特別彼と親しかったわけではないが、それなりに話はしていたし、人柄は好きだった。

思えば彼が私のクラスに転入してきたとき初めて座った席は私の隣だった。

教科書が揃うまで、同じ本を2人で見ていたなぁ・・・など思い出すにつれ私も涙が溢れて、2人で電話でしばらく泣き続けていた。

告別式へ参列したとき、闘病中の話を少し漏れ聞いた。

彼にはとても可愛い彼女がいて、東京で入院している間毎日お見舞いに来ていたそうだ。

そんな彼女に彼はいつも、

「俺は死なないから大丈夫だよ。お前を残したりしないから」

と、話していたらしい。

お互いの両親とも交流があり、恐らく生きていれば、今ごろは結婚し子供が産まれ家族を持っていたことだろう。

それでも病気とは皮肉なもので、彼の弟さんとの骨髄移植が決まり明日には手術だという日に急変し、そのまま還らぬ人となってしまった。

斎場では彼が作り歌った歌が流れ、祭壇の脇には愛用のギターが置かれていた。

22歳の秋である。

まだ学生だった。





今日の本田美奈子さんの訃報を聞き思い出した。

彼女の冥福を祈り、彼の安らかな眠りが続いていることもまた祈ろうと思う。

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