小さい頃から運動が苦手で、通知表はずっと「2」。
高校の時、思い切って先生に言ったこと。
「頑張っても出来ない生徒は評価が低いままですか?努力はするからそれも見てください」
そう言ったら、その先生は評価を「4」にしてくれた。
能力は人それぞれ。
社会に出たら能力が問われるけど、学生の時からそれをされてしまうと、出来る出来ないの前にやる気が失せてしまう。
あたしはあたしの言葉を受け止めてくれた先生に感謝した。
だから出来ないなりに頑張った。
結局最後まで走れば遅い、投げれば飛ばない、で終わったけど手抜きはしなかった。
成長過程では、「努力」の評価も必要なんじゃないのかな。
やる気が持てれば、もしかしたら出来るようになるかもしれない。
それをはなから「コイツは出来ないから」と決め付けてしまうと可能性すら無くしてしまう。
それって、「自信の無い人間」を作ってしまうんじゃ?
「頑張っても出来ないから自分はダメなんだ」と取る人もいるかもしれないけど、「頑張った中でこれは結果につながった。だから自分はこの道で行こう」と思える人も増えるんじゃないかな?
学校って、そういう場じゃないのかな?
「成績別に予算割当て」のニュースを見てふと思い出した。
押し付けの「努力」はいらない。
だけど自分から「頑張ってみよう」と思わせる環境を作ることは大事。
あたしはもう学生じゃないし、子供もいないからニュースや新聞で見るしか情報はない。
だけど、今の学校教育って、どこかずれているような気がする・・・。
高校の時、思い切って先生に言ったこと。
「頑張っても出来ない生徒は評価が低いままですか?努力はするからそれも見てください」
そう言ったら、その先生は評価を「4」にしてくれた。
能力は人それぞれ。
社会に出たら能力が問われるけど、学生の時からそれをされてしまうと、出来る出来ないの前にやる気が失せてしまう。
あたしはあたしの言葉を受け止めてくれた先生に感謝した。
だから出来ないなりに頑張った。
結局最後まで走れば遅い、投げれば飛ばない、で終わったけど手抜きはしなかった。
成長過程では、「努力」の評価も必要なんじゃないのかな。
やる気が持てれば、もしかしたら出来るようになるかもしれない。
それをはなから「コイツは出来ないから」と決め付けてしまうと可能性すら無くしてしまう。
それって、「自信の無い人間」を作ってしまうんじゃ?
「頑張っても出来ないから自分はダメなんだ」と取る人もいるかもしれないけど、「頑張った中でこれは結果につながった。だから自分はこの道で行こう」と思える人も増えるんじゃないかな?
学校って、そういう場じゃないのかな?
「成績別に予算割当て」のニュースを見てふと思い出した。
押し付けの「努力」はいらない。
だけど自分から「頑張ってみよう」と思わせる環境を作ることは大事。
あたしはもう学生じゃないし、子供もいないからニュースや新聞で見るしか情報はない。
だけど、今の学校教育って、どこかずれているような気がする・・・。
コメント
努力を認め始めたらみんなが5を取っちゃうから
それこそ、やる気がなくなっちゃうような気もする。
相対評価支持派の私の意見です。
努力っていうのは自己満足であり、評価されるところではない、と私は思ってます。
努力を褒めるべきは教師ではなく、両親なのかもしれませんね。
コメントありがとう^^
うん、これはあたしの意見だから賛否両論あるとは思うのね。
ここで書いた「評価が4に」っていうのはその先生の取った対応だから、別の形があっても良いし。
言いたいのは、「出来る生徒だけを見る」のではなく、「出来ない生徒をどうやって伸ばすか」も視野に入れた教育にも力を入れて欲しいということ。
あとは、褒めるべきは、という事に関しては、教師も褒めるところは褒めるべきと思うよ。
学校でしか分からない面もあるからね。
個人の個性をどう伸ばしてあげるか。
義務教育ではそれが大事なんじゃないかとあたしは考えます。
人間だから成績の良い生徒を贔屓するのは仕方ないし。
両親と話した結果、我が家では『9割方は成績で評価すべき』という結論にw
成績の良い子からしたら「なんでこんな奴と私が一緒なのよ」だし。
個人の個性を伸ばすならば、出来るものを伸ばして
出来ないものは出来なくてもいいんじゃないかな?
あたしはどちらかというと出来ないほうだったからそう思うんだろうね。
ちなみに我が家の方針は「やってみてから出来るか出来ないか判断しろ」なのね。
最初は出来なくても頑張れば出来るかもしれないからまずはやってみなさい、ってね。
その「やってみる」と思える気持ちを引き出すのも両親と教師の役目じゃないかな。
こういう話は恐らく結論は出ないんだろうけど、あたしの願望としてはそんな感じ。
そして、そういう先生と出会ったから能力が発揮出来た事があるのも事実。
で、運動に関しては頑張ったけどやっぱりダメだったのも事実w
でも「自分はこれは出来る、これは出来ない」ってわかったから良かったかな。
おかげで自分の方向も決めやすかったよw
とまぁ、あくまで個人的意見だからw
努力で4が取れるんなら、みんな努力するよね。
でもそうすると、4の有り難味が減るような…
とりあえず今日の日記に思ったことを書いてみるよ★
後で読みに行くね〜^^
そちらにはコメントできないのねw
そういう過去があったのか。
なるほど。
ならばくみこたんの考え方もなるほどなぁって思った。
やっぱり人それぞれだね。
経験で考え方も違ってくるね。
一つ言えることは、どんな理由でも「やってみないと分からない」ってことかな。
やったからこそ今のくみこたんが在り、今のあたしが在る。
そんな感じ?w
テストの点、授業態度、提出物の状況など、決して「出来る子」のみがいいのではなく、「出来ない子」の頑張りも認めるように、配慮しているつもりですが。。。
普段からマメテストを鬼のようにしている私は、それを元に生徒の理解度をチェックして、「出来ない子」を拾う。何回も同じ問題を繰り返して、出来ない箇所がある度にプリントに細かくやり方を記述して返す。そして、それでも出来ない子達だけ個別に課題を与えるようにしている。もちろん、すごく簡単な課題です。やりかたもきちんと説明して。しかも、本人達に「出来ないから呼ばれた」という気持ちを与えることは少ないように。周りからも気付かれないように。(ラッキィなことに、私はいつも生徒に囲まれているので、誰が周りに居てもおかしくない。)
こんな感じで、テストにはそのところは必ず出すようにしています。
苦手意識を持った子が、少しでもわかれば、それを励みにまだ勉強する気になるかな、気持ち的にも楽かなと思いながら、やっています。
何回も同じテストを重ねていくうちに、みんなが満点を取れるようになるのです。(でも、テスト(本番)になると解けない子続出…)
それとは逆で、出来る子の欲求を満たすためにも、たまに出来た子から次の課題へ、ということもします。
やりたい教育が出来ないのは、『受験』や、日本の教育システムとの絡みもあるのでしょう。もちろん、力量も関係あります。
あぁ、難しい。
確かにみんなが4だったらつまらないと思う人もいるかもしれませんが、私は生徒達みんなに5をつけたいです。
そんな授業が出来たらいいのに。
相対評価のいいところは、比べるのは他人ではない自分だということですね。基本は自分の成長を喜ぶこと、ではないでしょうか。「あの子には負けたくない」という気持ちも大切ですが、人生においてその気持ちは特に何も意味を持たないと思います。
胸を張って「自分はここを頑張った」と言えることこそ、大切なことだと思う。自発的にやる気を感じ行うことこそ、大切だと感じます。
テストも人と比べるためのものではありません。自分のわからないことを確認するためのものです。勉強は自分でするものです。自分との戦いだといいます。
社会人になって学校の中で培ってきた自分で自分のために勉強する力は立派に反映されていると思います。
今は、そんなことは分からない子ども達に、いかに勉強に取り組ませるか、なんだか話がよくわからなくなりましたが、そんなことも考えながら、先生をしています。
ではでは。
よくわからない文になってしまい、すいません。
しっかり書いてくれてありがとう^^
現場を実際に見れないと、どうしてもメディアから入ってくる情報しか分からないからこういう感想になりました。
確かに良い先生もたくさんいるけど、どうしても悪い部分がピックアップされて報道されてしまうから偏るのかもしれないね。
あてきちちゃんのように取り組んでくれる先生の下なら自分で「頑張ろう」と思える子供も増えるだろうね。
例え結果がどうあれ、取り組む気持ちさえ生まれれば自分の得意分野を見つけ、挑戦することにつながると思うのです。
いつか自分が子供を持ったとき、「まずはやってみる」子供になって欲しいと思います。
一人の先生に対して数十人の生徒がいるから実際はとても大変で、やりたくてもやりきれないだろうけど、あてきちちゃんのような考えで取り組んでくれる先生が増えたらいいな、と。
理想論だけどね、そう思います。